
Profile
佐藤信春(さとう のぶはる) 1961年(昭和36年)1月11日生
NECで選手として10年間連続して全日本実業団対抗駅伝競走大会へ出場し、数々の記録を残す。
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ラスト欄(ラン)
2010.02.23過日、畦道(あぜみち)を歩いていると春の匂いがした。
「犬ふぐりの花」の群生に出くわしたのである。

犬ふぐり星のまたたく如くなり・・・高浜虚子
春を待ちかねたように顔を覗かせたばかりの小さな花たちは
まさに星のまたたく如くであったのだ。
その中にあって原形のまま冬を越した古草は、色もくすみ力尽きたかの如くに
哀れな姿に見えた。
しかし、二十四節気のひとつである「雨水(2月19日)」が過ぎればひと雨ごとに暖かくなり
この古草たちもまた、生気を取り戻して蘇(よみがえ)るのである。
そして畦(あぜ)の主であるが如くに若草を従えて、あたり一面を緑に萌えさせて
いくのであろう。
古草もまたひと雨によみがえり・・・高浜年尾
我がチームにおいても古草の如く、一筋の春陽とひと雨の潤いをもとめて
長く厳しい冬を耐え忍んできた。しかし蘇ることはなかったのである。
一縷(いちる)の望みを託し吉報の日を待った。そのXdayが遂にやってきたのである。
「残念ながら今年度を以て・・廃部・・・」との通達。
喪失感と無力感だけが襲う。今は「悔しい」の言葉しかみつからない。
「企業スポーツの定め」と頭では理解しているのだが、自分の身に火の粉がふりかかると・・・
「志(こころざし)なかばで・・・・・」
言葉が詰まる。
呪文のように山本五十六【(やまもといそろく)大平洋戦争時の連合艦隊司令長官】の
「男の修行」を呟いてみる。
苦しいこともあるだろう。言いたいこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。腹が立つこともあるだろう。
泣きたいこともあるだろう。
これらをじっとこらえてゆくことが男の修行である。
呟いたものの心の揺れは止まらない。
しかし、いつまでも落ち込んでばかりもいられまい。
掲げていた「JALグランドサービス陸上競技部」の看板を外すまでは
僅ではあるがまだ時間があるのだ。
気を取り直して選手諸君に言っておかねばならないことがある。
前略、選手諸君へ
君たちはまだ若く勁(つよ)い。
人生はこれからなのだ。
その先に、またさらにその先に、またまたさらにその先には辛く険しい
「男の修行」の道が果てしなく続いている。
しかし、それは君たちの夢へと続く道であることを決して忘れてならない。
新たなる道を自身で切り開くことを信じて疑わない。
走り続けなければゴールは見えないのだから。
走走(草々)
小生宛の手紙でもある。
このノブログはいよいよラスト欄(ラン)となった。
ゴールが見えてきた。
「疾風知勁走」の暖簾を仕舞う時が来たようだ。
選手諸君、支えてくれたスタッフ各位、最後まで存続に向けてご尽力いただいた関係各位
ご支援、ご協力いただいた関係各位、ご声援いただいた枚挙に暇(いとま)がないほどの
すべてのみなさまに感謝申し上げたい。m(__)m
言葉では言い尽くせぬほどの春陽の如くの暖かなものをいただき
「感謝、感謝・・・」である。何度言っても言い尽くせない。
最後ながら弊社チームの廃部が「企業スポーツの在り方」に一石投じることになることを
願ってやまない。発展のために・・・
そろそろ時間がきたようだ。気力を振り絞り
暖簾を外し、シャッターをおろすことにしよう。
ガラガラガラ・・・
「あっ!忘れてた。」
「閉店のお知らせ」の貼り紙をしなくては・・・

花には嵐、人には別れがつきものである。
もう振り向くまい。「花に嵐のたとえもあるさ、さようならだけが人生だ!by井伏鱒二」
よく言ったもんだ。(笑)
それではみなさま 左様なら(/_;)/~~
転ぶ(ころぶ)とも笑顔綻ぶ(ほころぶ)日が来るさ
【寒day(someday)】・・・佐藤信春

二伸
ラスト欄(ラン)を書き終えてぶらりと入った居酒屋のトイレに相田みつを氏の
日めくりカレンダーがあった。(23日)
途中でいるから中ぶらりん、底まで落ちて、
地に足がつけばほんとうに落ち着く
なるほど。家でも中ぶらりんの小生だ。「今宵は深酒せずに家族のもとに早く帰ろう。」
千鳥足になって地に足がつかなくなる前に・・・
明日があるのだから・・・
雪国のこころ
2010.02.17津軽の雪
こな雪、つぶ雪、わた雪、みづ雪、かた雪、ざらめ雪、こほり雪
これは太宰治が自身の出身地を描いた著書「津軽」の冒頭に出てくる七つの雪の記述である。
津軽藩は戊辰戦争で会津藩とは敵の新政府軍についたことについては、ここでは触れず
話の成り行き(ゆき)上、雪の話でゆき(雪)たい。(笑)
べた雪、濡れ雪
千葉の雪である。
暦の上では春と言えど、まだ気候は冬。雪がちらつく日が多くなった。
2月に入ってからすぐの日のことである。夜になって雪が降り続いていたのだ。
小生はその中、帰宅の途にいた。傘を開き歩き出す。
♪津軽平野に雪降る頃はよ~
♪親父(おどう)一人で出稼ぎ仕度
相変わらず雪は降り続いている。
傘を畳んだ。
吉幾三の「津軽平野」を口ずさみながら思い出の雪を感じてみたくなったのだ。

♪春にゃ必ず親父(おどう)は帰る土産いっばいぶら下げてよ~
♪淋しくなるけど慣れたや親父・・・
昭和40年代、雪国の家の主(あるじ)たちが皆そうしたように小生の「親父(おどう)」も
また雪解けまでの間、東京方面に出稼ぎに出掛けて行ったのである。
当時は兄と姉は家を出ていたので母と2人で厳寒の冬を越したのだ。
あの淋しくも懐かしき日々が甦る。
ぼだゆぎ(牡丹雪)、どがゆぎ(どか雪:一夜にして積もる大雪)
一晩で辺りの景色を一変させる会津の雪である。
その「どがゆぎ」が降った翌朝は
『「踏み俵(ふみだわら)」そこさあっから道つけでこぉ(そこにあるから道をつけてきなさい)』
と母が決まって言うのだ。
スノーダンプなる便利なツールがなかった時代、藁製(わらせい)の米俵のような
「踏み俵」なるものに足を突っ込み、玄関先から通りまでの新雪を踏み固めて道をつくるのが
子供の仕事であったのだ。

幼少の頃に上述の体験をしたが故に
♪おらこんな村いやだ~
♪東京へ出るだ~
と今に至ったわけではない。m(__)m
ついでながら吉幾三は太宰治と同じ津軽の松木町の出身であることをつけ加えておこう。
その「雪(ゆぎ)」に備えるべく親父(おどう)が留守をする前にゴム長靴を
買ってくれたことがある。(以下ゴム長)
ゴム長は「踏み俵」と同様に雪国の必須アイテムだったのだ。
真っ白に染め上げた雪を写し出すほどの黒光りしたゴム長をおろす日がやって来た。
ワクワクしながらその一歩を踏み出す瞬間、うろ覚えながらも新雪を踏み締めた
その感覚が僅かながら今も残っている。
とにもかくにも新品のゴム長を登校時に友達に披露するのが楽しみだったのだ。
そして新雪を踏み締めた時にできる靴底に刻まれた滑り止め(ギザギザ)の型を
自慢するのである。(メーカーや種類によって違う)
他の子供たちにおいてもゴム長が買い替えられる度にその儀式は冬の間に
何度も繰り返し行われたのだ。
なぜ故にあんなことで盛り上れたのかは今となっては判然としない。
しかしながら時は高度成長期の真っ只中。新しく世に出るすべてのものが新雪の如くの
純真無垢なこころに新鮮に映っていたのでのではないかと思うのだ。
・・・などと思い出を辿りながら帰宅の途の雪路を歩き続けていたのである。
転ばぬようにあの頃のように足跡をつけてみた。

あの日の如くの感情はわかない。
「つみでぇ(冷たい)!」ふと我に帰るとくたびれかけたアップシューズであったのである。(笑)
ここで少し雪路で転ばぬための歩き方を伝授しよう。
まずは片足をあまり上げず足裏全体で軽く真上から踏みしめる。
歩幅は通常の半分くらいに保ち、決して蹴りだしてはならない。
要は踏ん張らずに足を置きに行き、片足が上がるか上がらないかのうちに
次の一歩を踏み出すのだ。
「転ばぬ先の杖(つえ)」ならぬ「転ばぬ先の知恵」である。(笑)
言葉ではわかるまい。
実際に雪路を歩き転んだ者だけが習得し、なせる技なのだから・・・。
転ばなきゃわからぬこともあるのだ。(悟)
帰り路の話を続けよう。
まだ雪は降り止まぬ。
「その角を左に曲がり砂利道に入れば、家はもうすぐだ!」
二曲目の歌を口ずさむ。
♪粉雪~
♪心まで白く染められたなら~
♪粉雪~
♪粉雪~
レミオロメンの歌をレコードの針が飛んだが如くにそこしか知らぬサビの部分を
何度もリフレインしたのだ。そうこうしながらやっとこさ玄関先に到着したのである。
しかし、心は白く染められずに、なぜかくすんだままであったのである。
さらに粉雪でなかったがために頭や肩に降り積もった雪は辿り着く前にことごとく融け
玄関先では濡れ鼠の如くになっていたのだ。
「俺は何をやっているんだ!この様か」
この雪質が故の結末を予測できたはずである。
傘をささなかったことを今更ながら悔いた。
そして、この歳になっての奇行に自己嫌悪に陥り「人間失格」であるが如くに
落ち込んだのだ。
頭(中)が真っ白になり小生の足跡の思い出は「斜陽(しゃよう)」の如くに
沈んでいったのは言うまでもあるまい。(笑)左様(さよう)なのだ。
やはり、ゆき(雪)過ぎだったか。反省!\(__)
「斜陽」の話より日の出の勢いの話に変えよう。
足跡と言えば・・・
高校の先輩でもある大八木弘明監督(駒澤大学)が自身の足跡を刻んだ著書が
上述の雪が降ったころに出版されたのである。

「育てて活かして勝つ」
~常勝軍団はこうして作られた~(コスモブックス)
早速、購読させていただいたのだ。今までの闘いの足跡は周知の通りであろう。
あらすじは明かすまい。
しかしそれを読み進めるうちに「天地人」で有名な会津にゆかりのある
直江兼続(かねつぐ)とダブらせてしまったのだ。
その理由(わけ)は「天地人」の原作者である火坂雅志(ひさかまさし)氏が
ある情報誌の中で以下の三つのことを柱にして兼続(かねつぐ)を描いたことを
明かしていたからである。
1、人を切らずに人を活かす
関ヶ原の合戦の後、石高(こくだか)を四分の一に減封されながら人を切らずに
人を活かし続けた。謀略が渦巻く戦国時代にあって人との信義を大事にし
「いかに強くあるか」ではなく「いかに領国を治めていくか」という強固な
組織づくりをしたのである。
2、仁愛の精神
兜の前立てにあしらった「愛」は戦の神様「愛宕大権現」と「愛民」の掛詞らしい。
♪愛掛けて雪国~
失敬!
神仏を尊び英知の限りを尽くして闘う。そして領民に対しては仁愛の心で
誠実に接する精神である。
3、雪国のこころ
雪国で暮らす人々にとって雪は重苦しい。
そんな環境だからこそ冬場はじっと我慢するしかない。
そこで力を養い春に大きな花を咲かせることこそが「雪国のこころ」というわけである。
上述の2つもさることながら著書の随所に会津人である大八木監督の
「雪国のこころ」を垣間見ることができるのだ。
今年は大宰治の生誕101年目にあたる。
ノブログもまた101回目となった。昔のドラマのタイトルを拝借させてもらえば
「101回目での(著書の)プロモーション」となろう。(笑)
「僕は買いましぇん」
「僕は読みましぇん」
そう言われずに実際に手にとってまずは一読あれ!
あなたもきっと「雪国のこころ」に出逢えるのでは?・・・。
しかしながらかくいう小生はといえば「雪国のこころ」はあれども、相も変わらず
我が名「信春」の如く春を信じ待つばかりである。
まだまだ遠き春なのだ。
花が咲くどころではない。しかし、我慢強いところが唯一の長所であるのも確かだ。
これからも人知れず雪解けの合間から春を告げる蕗の薹(ふきのとう)の如くの
我慢強いこころであり続けたいと思う今日このごろなのである。
ちなみに蕗の薹の花言葉は「待望」であり、2月16日の誕生花であることも
最後ながら付け加えておこう。

♪・・・春よ、まだ見ぬ春♪迷い立ち止まるとき
・・・
♪夢よ、浅き夢よ
♪私はここにいます
♪・・・ひとり歩いています
♪・・・流るる花の如く
(「春よ来い」松任谷由美)
二伸
過日、千葉国際クロスカントリー大会(4000m)に髙嶺秀仁が出場し5位入賞(日本人4位)を
果たした。
二伸ながら報告まで。
Good Luck!(100号記念)
2010.02.08先月は2度の満月を賞(め)でることができた。
2度目の満月を「ブルームーン」というらしい。
その名の由来については少々、時間を要するので今回は割愛させていただく。m(__)m
ひと月に2度も観られる満月はここ20年間で10回ほどのことらしいのである。
希少価値が故にファーストムーン(1月1日)ブルームーン(1月30日)と観た者には
幸運が訪れるという伝説があるのだ。

残念ながら小生が賞でた2度目の満月は光暈【こううん=光の暈(かさ)】の中にあり
さらに行雲(こううん)に遮(さえぎ)られ煌々(こうこう)たるものではなかったのである。
よしんば煌々たるものであったにせよ、観たものすべてに光運(こううん)が
射し込むわけでもなかろう。
真の幸運なるものは必ず春が巡るが如くに向こうからやって来るものではなく
耕耘(こううん)するが如くに自ら切り開かなければならぬものだから。(悟)
幸運を作るというのは、つまり、条件を自ら作ることである。
上記の言葉はベストセラーとなった「Good Luck」という本の一節である。
読まれた方も多かろう。

小生においても「寒くてもまずは外に出る」「満月が出(い)でし夜空を見上げる」という
能動的条件を自らが作らなければ、遮られながらもこの凛とした満月を賞(め)でることが
できなかったのである。少なからず幸運だったのかもしれない。
しかしながらかくいう小生はといえば、過日の節分に西南西に向かって
「恵方巻(えほうまき)」を頬張り、労せずして無条件幸運を呼び込もうとしていたのである。
当然ながら今のところその効果は表れていない。(笑)

自分の知っていることが、すべてとは限らない。
幸運をつかむには、あらゆる可能性に目を向けなくてはならない。
(Good Luckより)
節分は季節のつなぎめの日である。古い年を司(つかさど)る神は既に去り
年の神が入れ替わる謂わば「空白の一日」なのだ。
邪悪な鬼どもはこの隙間につけ込み悪さをしようとするのである。
年の神が幸運、所謂「福」を運んで来るまでの間に、その対策として先ずは「豆まき」をする。
また、多くの地域では焼いた鰯(いわし)の頭を柊(ひいらぎ)の枝に差し戸口などに
挿しておく古来からの風習などがあるのだ。
「鰯の頭も信心から」という諺はここからきたものであろう。
これを焼嗅(やいかがし)というらしい。
どうやら鬼はこの臭いと柊のトゲが苦手なようである。ついでながら鬼は牛の体と角(つの)
虎の牙と爪を持ち、その毛皮を纏(まと)う架空の生き物だという。
それ故に虎のパンツを身に付けている如くの姿に描かれているのだとか。(笑)
さらについでながら古来の十二支による方位である丑寅(うしとら)は北東にあたり
鬼がやってくる方位とされることから鬼門(きもん)と呼ばれるようになったのだとか。
ともかく、この日は上述した「豆まき」と「焼嗅(やいかがし)」をセットで行えば
より強固に鬼の住居不法侵入を防御できるというものだ。
現代風にいうなら「鬼用のセコムしてますか?」
二重のセキュリティということになろう。
二重のセキュリティといえば、この日は「父は外」にて鰯(いわし)の頭を胃袋の中に忍び込ませ
浮き世の鬼を退治するべく対策を練っていたのである。(笑)

20時半ごろの帰宅であったように思う。
家内にとってはいつも小生が帰宅する時間の想定範囲内であろう。
玄関の扉を開けようと取っ手を引くと鍵がかかっていたのだ。
まだ時は戌(いぬ)の刻である。玄関の外灯も点いてない。誰も居ぬ(いぬ)のか(笑)
「今日は鍵がある。それはそれでなんの問題はない。」と気を取り直して
鍵をおもむろに鞄から取り出し開けたのだ。
なんと!さらにチェーンがかかっているではないか。
自身の作り出した「鍵を開ける」という条件だけでは幸運の扉は開かなかったのである。(笑)
わざわざ寄り道をして西南西の方角から帰ってきたというのに・・・小生は鬼ではないのだ。
ホームセキュリティ会社のCMのセリフを拝借すれば
「厚いガードで主外(アルジソト!)・・・熱いハートがアルソック!」となるのか。(笑)
ちっとも洒落になってない。m(__)m
「いつもの癖で・・・。連絡がなかったから、帰って来る日だと思わなかった・・・。」
と言うのである。果たしてそれだけであろうか・・・。
鬼門(きもん)ならぬ疑問(ぎもん)が残る。(笑)
確かに不在がちで帰宅のメールをいれなかった小生も悪かろうが、鬼である。(笑)
すぐ様、口頭にて不服をおカミに上申したのである。
しかし「言わし(鰯)とけばいい・・」というような不穏な空気が漂い、上申後の回答には
柊(ひいらぎ)の如くのトゲ?を感じたのであるからして年の豆も食せず、そそくさと
「豆まき」された鬼の如く退散した次第である。(笑)
しかしながら上述のことを冷静に考察するに今年もきっと家内安全に違いない。(笑)
変に処しては、まさに百忍を堅くして以て成るを図るべし
・・・菜根譚(さいこんたん)
難関に差し掛かった時は、ひたすら耐え忍び初志を貫徹しなければならないという意味らしい。
「変」とは踏ん張りどころであり、すなわち人生の踏ん張りどころのことである。
そこで必要なのが「百忍(ひゃくにん)」というのだ。
付随して唐の時代のエピソードを紹介しよう。
張公芸(ちょうこうげい)という人物が評判になるほど仲睦まじく大家族で暮らしていたのである。
そして時の皇帝が大家族和合の秘訣を訪ねたというのである。
張公芸は黙して「忍」の字を百ばかり書いて差し出したというのだ。
修羅場をくぐり抜け和を保つその秘訣は「百忍」すなわち「我慢、我慢・・・」以外の
なにものでもないことに他ならないのである。理解できる。(笑)
どこかの物置のCMではあるまいが「百忍(ひゃくにん)を以(もっ)て大丈夫!」
ということか。(笑)
きっと「百忍」も幸運を呼び込むための必須条件に違いない。(笑)
張公芸は「忍」を百ばかり書いたが、小生においてはノブログを100ばかり認(したた)めた。
永きに渡りご愛読いただき感謝申し上げたい。
引き続き、ご笑読いただければ幸いである。
節分、立春と暦の上では冬から春を駆け抜ける一週間であった。
しかしながら、まだまだ春隣(はるとなり)、三寒四温を経て季節は移り変わる。
季節の変わり目「ご自愛専一に」と祈るばかりである。
文末ながら春の訪れとともに幸運のストーリーが始まることを願って・・・good luck!
幸運のストーリーは・・・、絶対に偶然には訪れない。(Good Luckより)

おしくらまんじゅう(都道府県駅伝)
2010.01.281月20日は二十四節気の大寒(だいかん)。
「おお!寒」読んで字の如し、寒さが最も厳しくなる頃らしい。
しかしこの日は全国的に小春日となり、汗ばむほどの陽気となったのだ。
お大寒【大官(だいかん)】様ご乱心!(笑)
小生は前回で触れた通り、奄美大島に滞在していたのである。気温22℃。
半袖で過ごすほどの1日であったのだ。
その2日後のことである。都道府県男子駅伝に弊社の安西秀幸が出場することと
のっぴきならぬ用事のため奄美より鹿児島経由で広島に向かったのである。
広島西空港に降り立つと奄美ほどではないが思いの外、ここでも暖かな日射しが迎えてくれた。
今回は平野助監督に県のスタッフを引き継いでいたので少しだけ肩の荷をおろしていたのだ。
所謂一つのショルダーバッグであろうか。(笑)
そして、この夜は体内に蓄積された不純物を追い出すべく
草臥(くたび)れたbody with “古本”をbathroomに持ち込み、半身浴をして孤独の夜を
満喫していたのである。
サウナの如くにリカバリーを経て2回目に突入しようとしたその時、突然に携帯が鳴ったのだ。
「もしや、会合への誘いであろうか?」
「気づかなかったことに・・・」とも思ったのだが、ディスプレイを覗(のぞ)くと
河野 匡(かわの ただす)監督(大塚製薬)からの着信であったのである。
愛飲しているドリンクの如くに肝臓に蓄積されたアセトアルデヒドの濃度を薄めてくれそうな
気がして思わず電話に出たのだ。(笑)
彼は滋賀県スタッフの会に訳あって顔を出しているという。
ありきたりの挨拶と会話の後に「・・・ちょっと待って」とある人物に代わったのである。
「ご無沙汰しております。・・・」懐かしい声が聞こえる。
声の主は、億田明彦という小生が現役時代所属していたNECの後輩であったのだ。
前出の監督との間で話題に出たので懐かしさのあまり「電話をかけてもらった」
というのである。
その話題とやらは想像するに大豆食品「soy joy(ソイジョイ)(大塚製薬)」のCMに出演する
トヨエツこと俳優の豊川悦司氏に小生が激似しているということではなかろうか。
CMのセリフを拝借すれば、そういう思い込みは「だいず(大事)ですから」
ということになるか。(笑)
しかし、自分で言うのもなんだが小生ほどいい男ではなかろう。(大笑)
冗談が過ぎた。m(__)m
億田氏は高校を卒業して2年ほど横浜の片隅の街で実業団選手として小生と共に走り
同じ釜の飯を喰った仲である。
その後は紆余曲折、念願が叶い大学に進学して箱根に出場したのだ。
そして地元の中学の教諭(現在は彦根南中学校)として赴任したのである。
この日は滋賀のスタッフとして10数年ぶりに広島に赴いたという。

「こちらでご一緒しませんか?」と氏。千葉県チームに顔も出してない上に他県チームの会に
途中から割って入るのも申し訳ない。
そんな思いもあって「明日、開会式の時に顔出すよ。」と返答したのだ。
一応、一度は断わるしかあるまい。(笑)
しかし「渋谷(しぶたに)さんもいますし・・・折角ですから・・・
電話の途中ながら・・・Just a moment, please.
「渋谷さん」とは千葉県の前監督であり、現在は
滋賀県の監督(びわ湖成蹊スポーツ大学の教授)
現役時代は、福岡国際マラソン、びわ湖毎日マラソンで優勝するなど数々の輝かしい記録を残し
実業団で監督を務め幾多の選手を育成した渋谷俊浩(しぶたにとしひろ)氏その人である。
I am sorry to have kept you waiting.
電話の会話を続けよう。
・・・なんとか来れませんか?」と再度、誘われたのである。
億田氏も教諭になったとはいえ後輩には違いない。
折角の誘いを半身浴の中途という理由だけで二度目の誘いは無下に断ることはできまい。(笑)
大人としての礼儀?でもある。(笑)
そそくさとシャワーを浴び用意をして外出したのだ。
予報通り寒気が入り夜の風は冷たい。半身浴を途中棄権し冷えきった身にはbodyブローの如く
こたえてくる。
ダウンジャケットを「必要なかろう」と宅配便にて他の衣類と一緒に合宿の終わりに返送し
薄手のジャンパーを選択したことを後悔した。浅はかな考えであった。
15分ほど歩いただろうか、その場にたどり着いた。スタッフの先生方は案の定
選手強化について口角泡を飛ばしている最中だったのだ。
遠慮がちにひとしきり挨拶をして席についたのである。
そして億田氏と握手を交わし10数年ぶりの再会を果たしたのだ。
氏とは以前、びわ湖毎日マラソンに赴いた時に一、二度訪ねたことがある。
その姿は、以前より一回りも二回りも心身共に大きく立派な中学校の教諭の
貫禄であったのだ。(笑)
余談ながら現役当時はその容姿と愛くるしい笑顔から「顔ちゃん」とあだ名され
家内にも可愛がられていたことを思い出す。(笑)
今はその風貌と言動から察するにきっと厳格ながら心ある「顔ちゃん」というあだ名が
相応(ふさわ)しい滋賀県の指導者としての「顔」なのであろう。
そんなことを思い巡らせ、周りの先生方との会話を気遣いながらも昔話と近況に
花を咲かせたのである。
その話の中で社交辞令であろうが、『ノブログ』の言葉を時折、教材にしている
というのだ。m(__)m
『ノブログ』もお陰様で次回に100号を迎える。m(__)m
引用ばかりのつたないブログではあるが何よりものお祝いであったのだ。
それに気をよくした小生はといえば「中学生には最初に選手育成ありきではなく
人間形成ありきの指導を・・・」などと知ったようなことを言い先輩風を
吹かせてしまったのである。
【少しニュアンスは違ったと思うがm(__)m】
河島英五の「時代おくれ」の歌詞の一節の如く
♪変わらぬ友(後輩)と信じ込み
歳月が過ぎ指導の引き出しの中身が豊富となった氏にとって、そのようなことは言われずとも
既に実践していたであろう。
言い放った後に自身を恥じた。m(__)m
逆にこちらの方が生き抜く術(すべ)のヒントと勇気をもらったのである。m(__)m
しばらくすると閉会となり、束の間の再会の時間も終わりを告げた。
先生方々へ急な参加への非礼を詫び、氏と再度、握手を交わしその場を後にしたのである。
♪出逢いはいつも偶然の風のなか
♪・・・懐かしい風景に再び廻り逢えた
そんな気がする
・・・
♪ふれあいのかけらが
♪人生を変えていく
♪言葉でなく、ものでもない
♪ひとつの出逢いから
・・・
♪舞い上がれ風船の憧れのように
♪二人の明日天までとどけ
これは「さだまさし氏」の「天までとどけ」の歌詞の一部である。
この歌詞の想いの如く、再びの出逢いで懐かしい横浜の片隅の街で過ごしたあの時の風景が
氏の脳裏にも共通の映像として甦っていたことを信じて疑わない。
その時、お互いの夢が「天までとどけ」と明日の平和をどこよりも願うこの地で
祈らずにはいられなかったのである。
その帰り道は心も体も温まっていたように感じたのだ。
下問(かもん)を恥(は)じず・・・論語
目下の者に教わることを恥(はじ)としないという意味である。
翌日も小生は他県チームの先生方や関係者に「カモン!(come on!)」ということで
恒例の情報交換の場の中にいた。

【左より 福島監督(富士通)、大八木監督(駒澤大学)、楢木野先生(熊本鎮西高校)、
井上先生(大分東明高校)、この脇に千葉県スタッフの千葉先生(流経大附柏高校)
北原先生(富里高校)もいたことも付け加えておこう。】
前日の先生方しかり、気付けば殆どの方々が小生より年下であったのだ。
しかしながら、目上の人は勿論のこと歳下においても人脈の少ない小生にとっては
このような出逢いの全ての場所が教場なのである。
この夜(よ)も、この世(よ)も寒い。半身浴で温まるもよし、熱燗を呑んで温まるもよし。
しかし、人との出逢いこそが「おしくらまんじゅう」をしたが如く小生の心を温めて
指導への情熱を再燃させてくれるのだ。m(__)m
おしくらまんじゅう潮騒こめてふくれけり・・・森田博
潮騒の聴こえる海岸沿いでの句であろうか。
遅ればせながらこちらの句(く)ならぬ瀬戸内海の海岸沿いの区(く)の話を
しなければなるまい。
忘れていたわけではない。m(__)m
広島市内と潮騒響く瀬戸内海の海岸線を結ぶコースでの闘いとなった
「第15回都道府県男子駅伝」の報告である。
47都道府県の選手が中継点において押し合いへし合い「おしくらまんじゅう」の如くに
襷を渡す姿を観るのもこの駅伝ならではの醍醐味のひとつである。
その駅伝に弊社の安西秀幸が千葉県代表としてアンカー(7区)の重責を任せられたのだ。
一つ順位を落とすも粘走し「おしくらまんじゅう」の如くの大観衆の待つ平和記念公園前に
6番目でフィニュシュを果たしたのである。
http://spmd.jp/y/mst/lib/2010/html_02_genchi/today/today_goal1_05.html
そして千葉県チームの三年連続入賞に大きく貢献してくれた。
駅伝詳細はこちら↓
http://spmd.jp/y/mst/index.html
【7区の結果と6位のゴールシーンの動画をご覧あれm(__)m】
文末ながら選手宣誓の大役を務め5区(高校生区間)で区間2位の好走を見せた伊藤選手
6区(中学生区間)で区間新を記録した町澤選手を始め千葉県代表の選手諸君と
関係各位に敬意を表したい。m(__)m
http://spmd.jp/y/mst/lib/2010/html_02_genchi/yesterday/yesterday_kaikai_sensei1_02.html
私ごとながら奇しくも伊藤選手は我が偶息と同じクラスである。
伊藤選手の卒業後は実業団で競技を続けることもここにつけ加えておこう。
今後が楽しみな選手である。さらなる飛躍を期待する。
「おしくらまんじゅう、押されて泣くな」
誰かが押されて泣かぬよういつもこの手を差しのべる小生でありたいものだ。
そして、そのかたまりの中で「温もりを分かち合いたい」と間抜け面(づら)で
紅葉饅頭(もみじまんじゅう)を頬張りながらもそのように思う今日この頃である。
ざわわざわわ
2010.01.201月17日は阪神淡路島大震災から丸15年になる。
まずは犠牲者の方々と遺族の方々へ哀悼の意を表したい。
この日は日本実業団連合の冬期合宿のスタッフの一人として奄美大島にいたのである。

ここは鹿児島県に属する島であるが琉球文化を色濃く残す。
沖縄同様に戦後間もなく米国の統治下におかれ、昭和28年12月に日本に返還されたことを
知る人はそう多くはないであろう。
この日の練習はさとうきび畑が点在し『ふるさと』の歌の如くの山河があり
閑静な集落を抜ける約5kmの周回コースを6周の長距離走であったのだ。

そんな長閑(のどか)なコースなれども時間内に狭い道を路線バスが一回だけ通るというので
交通整理を買って出て集落の入り口付近まで徒歩で向かったのである。
3周目18km付近、幅員が狭(せば)まる少し前でバスを停め選手たちを通すとお役御免となり
ゴール地点に向かったのだ。
その途上、さとうきび畑を通りぬける風の音が聞こえた。
♪ざわわざわわ
♪広いさとうきび畑
♪ざわわざわわ
♪風が通りぬけるだけ
♪・・・あの日父は鉄の雨にうたれて死んだ
♪ざわわざわわ
♪風が通りぬけるだけ
♪・・・私が生まれた日にいくさの終わりはきた
これは第二次世界大戦末期に沖縄戦で逝った父の顔を知らぬ少女の想いを歌った
『さとうきび畑の唄』の一部である。
通りぬける風の音がいっそうの悲しみを誘う。ふと震災の日であったことを思い出し
さとうきび畑の前に立ち止まり黙祷を捧げたのである。

その後、集落の脇を抜けようことした時のことである。
道端で無邪気に遊んでいる2人の島の少女と出会ったのだ。
「おじちゃん、さっきマラソンしとったお兄ちゃんたちの先生?」と
小生の首からさがったストップウォッチを見つめながら声をかけられたのだ。
小生とて「先生と言われるほどの馬鹿でなし」
しかし保育園に通うという幼い少女たちにはそれ以外の代名詞が浮かばず
「うん、そうだよ」と躊躇(ちゅうちょ)しながらも返答したのである。
その2人の少女に選手たちへの声援を促し、たあいもないお喋りを交わしながら
そこで選手たちの次の周回を一緒に待つことにしたのだ。
その時の小生の格好といえば哀悼の意を表すという意味においては黒づくめの
ジャージという相応の装いであったが、そこにネイビーブルーのキャップにサングラスの
出で立ちであったからして島の人たちから見れば怪しい男に映ったに違いない。
それ故か片方の少女の父親が心配してか様子を見に家から出て来たのである。
少女は先生ならぬ先制パンチ!(笑)
絶妙なタイミングで「このおじちゃん、マラソンの先生よ」と島訛りで素性(すじょう)を
証(あか)してくれたのだ。
疑惑は晴れたのか互いに作り笑顔で会釈を交わし、その父親は再び家の中へ
入って行ったのである。(笑)
暫くすると選手が走って来た。

「がんばれ~」屈託無い笑顔から発せられる少女たちの甲高い声が閑静が故に
あたりにこだまする。それからは声援してくれたことへのお礼を言って別れを告げた。
「また来てね~」振り返るとどこかのテレビ局の番組の「田舎に泊まろう」という
ラストシーンの如くその小さな姿がさらに小さくなるまで手を振ってくれていたのだ。
m(__)m
我が子等が幼い時に遠征の多い小生に「早く帰って来てね」ではなく
決まってこの「また、来てね」と奇妙な見送りの言葉をくれたことと相重ねていたのである。
後ろ髪を引かれる思いで振り返るのをやめて歩き出す。
♪ざわわざわわ
♪風が通りぬけるだけ
震災から15年
ある本に載っていた回顧録を読んだことがある。
そこには、こう認(したた)めてあったのだ。一部抜粋して紹介させていただこう。
瓦礫(がれき)の中のメッセージ
・・・ぺしゃんこになった家があった。その家には消し炭で字が書いてあった。
その字はおそらく小学1年生ぐらいの子が書いた字だろうと思う。
「この下でお父さんとお母さんが死にました。どうかこの上をふまないでください。」
この体験が一番きつかった。・・・
それを思い出すと身につまされて熱いものが込み上げてきたのである。
さらに歩を進めるとまた風が通り抜ける音がした。
♪ざわわざわわ
・・・父の手にだかれた夢をみた
あの日、6,434人以上の尊い命が喪(うしな)われたのだ。
しかし、その一方でその日に産まれた命もあった。
語り継ぐ役目の命としてこちらも忘れてはなるまい。
「自分の番 いのちのバトン」・・・相田みつを

・・・過去無量のいのちのバトンを受けついでいる
いま、ここに
自分の番を生きている
それがあなたのいのちですそれがわたしのいのちです
あの日に産まれたいのちは今は15歳。一番下の我が愚息と同い年になる。
上述した少女たちには心配してくれる父がいる。我が愚息にもいつも不在ながらも
こうして父はなんとか生きているのだ。
少なからず幸せであろう。
この震災の日を機に千葉に戻ったなら「自分たちは今、何ができるか?何を成すべきか?」を
愚息はもとより選手たちと真剣に対峙しようと思う。
「自分の番を生きる」その意味と命の尊さについて・・・
奇しくも震災の日の5日前にハイチという国で大地震が襲った。
あの日の悪夢が甦った被災者の方も少なくなかろう。
遺族の方々の胸のうちを察するに余り有る。
救援活動が遅々として進まず依然として被害の全容が把握できない状況にあるという。
死者数も10万人とも20万人ともする見方があるようだ。この日はボランティアの日でもある。
ドラえもんの『どこでもドア』なるものが実在するならば直ぐ様に開けてお手伝いしたい
気持ちだけはあるのだが・・・。よしんばあったにせよ足手まといになるばかりであろう。
祈ることしかできない。(-人-)
せめて『ドラえもん募金』なるところに電話をして、僅かながらではあるが
寄付させていただくことにしよう。
♪ざわわざわわ
♪風に涙はかわくけど
♪ざわわざわわ
♪この悲しみは消えない
この震災の日に併せて手を合わせずにはいられない。(-人-)
♪ざわわざわわ
浮き世の風が身に凍みる。
「疾風知勁草」改めてこの言葉を噛み締めながら受け継いだバトンを次の世代に手渡すまでは
自分の番を勁(つよ)く生きて行こうと思う今日この頃である。
十日戎(とおかえびす)朝日駅伝
2010.01.13すっかり松もとれ1月も半ばを迎えようとしている。
1月10日は十日戎(とおかえびす)であった。この日は初戎(はつえびす)ともよばれ
恵比寿様の祭りである。商売の神様である恵比寿様に向こう一年の
商売繁盛を祈願する日なのだ。
「商売繁盛!笹持って来い!」の掛け声はあまりにも有名。なぜ笹(竹)か?
松竹梅は言わずと知れた縁起物である。
その竹の葉である笹は「葉が落ちずにいつも青々と繁る」「節目正しく真っ直ぐに伸びる」
「弾力があり折れない」などをこじつけて縁起物となったらしいのである。
ついでながらその笹に『吉兆(きちちょう)』とよばれる小判、鯛、米俵などの
ミニチュアを飾り付けした『福笹(ふくざさ)』は商売繁盛の必須アイテムなのだ。
さらについでながら『吉兆』を辞書で引くところによれば「良い事が起こる前ぶれ」を
意味するという。
縁起もん(物)のすすめ・・・福笹誘吉(ふくざさゆうきち)
・・・ということになるか(笑)
またこんなことを記すると、読者の方に「頭が真っ白になった」と言われかねぬので
『吉兆(きっちょう)』の話は「サッサ(笹)」と切り上げるとしようm(__)m
十日戎は特に西日本の神社で賑やかに営まれるというのだ。
その祭りが催されるそのひとつ、十日戎神社がある福岡市に朝日駅伝(翌日開催)のために
赴いたのである。
後にまた述べるが、今年は同じ千葉県に所在する富士通チームと合同での出場と
相成ったのだ。
早速、チェックイン後「互走倍繁盛!(ごそうばいはんじょう)」の祈願をするべく
「参拝を」と思ったのだが、なにせスケジュールがおしていたからして、取り敢えず
ヱビスビールを恵比寿様に見立てお互いの繁走?(はんそう)を祈った次第である。(笑)

その後、見立てた恵比寿様の中身の行方は、小生の御腹(おなか)に宿り
布袋(ほてい)様にとって代わったことは言うまでもあるまい。(笑)

これでは他の七福神の逆鱗(げきりん)に触れて御利益(ごりやく)は望めそうにない。
陳謝するのみである。m(__)m
その夜のことである。
七福神(人)??が現れたのは・・・。(笑)
その夜は合同チームの総監督として、無理矢理に担ぎ出した木内敏夫氏(富士通陸上競技部の
前総監督:昨年末に退職)と杯を交わす予定になっていたのである。

写真提供:タカケン
しかし二人きりの会話は弾まぬであろう。
そこで駅伝参加チームの監督方(有志)や関係各位に呼び掛けをして、会費制にて懇親会を
開催させていただき7人の方々(七福人)にご参集いただいたのだ。m(__)m
しかも宗猛監督(旭化成)が前日(9日)、小生が翌日(11日)の誕生日ということで
一緒にお祝いをしていただいたのである。感謝m(__)m
そしてその途中から、なんと宗猛監督の奥様が飛び入りで参加してくれたのだ。m(__)m
奥様はかつて知る人ぞ知るロングジャンパー(走り幅跳びの選手)として
名を馳せた方なのである。

「飛び入りと跳ぶ(飛躍)」という意味で「こいつは新春(はる)から縁起が良い」ではないか。
さしずめ福娘(ふくむすめ)?ということになろうか。(笑)
早速、隣のテーブルを拭く娘(ふくむすめ)に「お一人様ついかぁ~、商売繁盛!
酒、持って来い!」と注文したのである。(笑)
【実際の会話とは多少異なるm(__)m】
余談ながら福娘ならぬ清酒の『冨久娘(ふくむすめ)』の蔵元はかつて旭化成の関連会社で
あったことを付け加えておこう。
ちなみに奥様といえば、この日はチームのスタッフとして同行した『タカケン』こと
高橋健一コーチ(富士通)の結婚記念日でもあったという。
彼の奥様から電話があるまで「忘れていた」というのだ。
小生が咎めたとて説得力がないが、「宗夫妻を見習いなさい!」とここは元上司として
「ビシッ」と言っておかねばなるまい。(笑)
終始反省しきりの様子だったので奥様にご容赦願えれば幸いである。m(__)m

こうして和やかなうちに前夜祭(懇親会)も終わりを告げ、七福神(人)たちはそれぞれの
お社(やしろ)に戻られたのであった。
そして翌日・・・
新たな七福神(7選手)が現れることになるのである。(笑)
「互走倍繁盛(ごそうばいはんじょう)!襷(たすき)持って来い!」
この駅伝には、富士通と合同チームとして参加したことを前にも触れたが
呉越同舟で闘いに挑んだのである。
合同チームのためオープン参加となり、順位は付かなかったものの結果的には
10番目でのゴール。力及ばずの駅伝であった。

2区 吉田 4区 髙嶺

6区 赤木 7区 大光
レース詳細はこちら↓
http://www.jgsgroup.co.jp/rikujyo/schedule/?p=229
http://sports.fujitsu.com/trackfield/
しかしながら、当初の参加目的であった「経験を積ませる」という若手育成の観点からは
互いにさらなる飛躍する上では大きな一歩となったことは信じて疑わないものである。
五十にして四十九年の非を知る・・・淮南子(えなんじ)
五十歳を迎え、四十九年の過ちの多さに気づかされるという意味らしい。
小生は大会当日に数え年でいえば五十歳を迎えた。
過去を省みれば偽りと過ちだらけの人生であったと思う。
幾つになっても同じ思いで省みるのであろうか。
しかしながら竹の節目の如く人生の通過点において、省みなければ人間としての成長は
止まってしまうのだろう。(悟)
出場した選手においてはまだまだ若い。
五十歳になってかくいう小生の如くにならぬよう、この駅伝での経験もさることながら
様々な経験を踏み失敗を繰り返しながらも成長し続けて欲しいのだ。
併せて人間としての価値と存在感を高め、さらなる飛躍を願うばかりだ。m(__)m
小生自身のこれからの戒めの言葉でもある。戎(えびす)に1を加えれば戒(いまし)めとなる。
戎+1=戒
故に小生の誕生日(1月11日)は人生の節目に過去を省みる「自戒の日」でもあるのだ。
上の淮南子の言葉はさらにこう続く。
六十にして六十化す
六十歳になっても過ぎた歳を省みさらに進化し続けると意味らしい。
六十歳となられた木内氏を始めその手前ではあるが懇親会に参加いただいた宗猛監督や
坂梨博監督(JFEスチール)、諸先輩の進化し続けておられる生き様に小生も習い今後の人生を
『えびす顔』で生きたいものである。
∧
(^○^)〆

【左は坂梨監督(JFEスチール)
右は初優勝に導いた明本監督(Honda)】
笑う門(かど)には福来る!小生の必須アイテムである縁起物のABCキャップを被り
「向こう一年、エービースー(ABC)で(D)い(E)ぐべ~!」(^o^)/
【会津訛りでABC=エービースー(恵比寿)m(__)m】

二伸
朝日駅伝の出場に際し、ご尽力いただいた富士通チームの関係各位に敬意を表すとともに
感謝申し上げる。m(__)m
また、祝日の早朝にも関わらず選手の付き添いをしていただいた田中孝男様を始め
合同チームに対して沿道よりご声援いただいたJALグランドサービス九州の関係各位に
二伸ながら感謝申し上げたい。m(__)m

大会当日は成人の日。最後に私ごとながら新成人になった我が愛娘(まなむすめ)を始め
晴れの成人式を迎えられた皆さまに文末ながらお祝いを述べたい。
おめでとう。m(__)m
ニューイヤー駅伝(踊り場)
2010.01.04謹賀新年

路地の子が礼して駈けて年新た・・・菖蒲あや
2010年元旦。ニューイヤー駅伝のスタート前に一区の福山がオーロラビジョンに
映し出され紹介された。一礼してスタートラインについたのだ。
新たな年を感じながら上の句を思い浮かべ祈る思いでその背中を見送ったのである。
ベスト10入りを目標に臨んだ我々の戦いのスタートはこうして切られたのだ。 
レース経過はこちら↓
http://www.jgsgroup.co.jp/rikujyo/schedule/?p=220
ゴール直前まで10チームが入賞争いの中にあり、勝敗の行方は混沌としていた。
そしてついにスパート合戦は明暗を分け決着をみたのである。

結果は残念ながら14位と昨年を下回るものとなった。悔しい。
結果として期待を一身に託されることとなったアンカーの吉田(ルーキー)を始めとした
選手全員は小生以上の思いであったに違いない。

人は「惜しかった」と言うが、なんの気休めにもなるまい。
入賞を僅差で逸したこととその順位を事実として真摯(しんし)に受け止めなければ
ならないのだ。
言うことなかれ「・・・たら・・・れば」と。
敗軍の将は以(もっ)て勇(ゆう)を言うべからず・・・史記
説明するまでもなく敗戦を招いた将は弁解無用という意味である。
今回の駅伝においていえば、選手を「どうのこうの」と責めることなど
できないことに他ならない。「兵を談ぜず」責任はすべて選手を起用した監督である
小生にあるのだから。
まずは、諦めず最後まで襷を繋いでくれた選手たちはもとより、サポートしてくれた選手
スタッフへ慰労を述べさせていただく。
ご苦労様m(__)m
そして栄養管理士の永井瑛子からのお守り(手作り)が手前味噌ながら
選手に力を与えたこともここに感謝し付け加えておこう。m(__)m

しかしながら、翻(ひるがえ)って思うに、選手諸君にはその走りを省み
「なぜ敗れたか」とその敗因を自己分析し「今後の対策と新たなる目標の設定」を
直ぐ様に立てて欲しいと思うのだ。そして「自分宿題を作成するように」
これだけは敗軍の将ながら談じておかねばならぬまい。
同じ轍(てつ)を踏まぬために・・・
その自分宿題作成にあたってのヒントを受け売りながら楽天の三木谷社長の言葉を借用し
以下に示そう。
ある新聞によると、三木谷氏は経営論として『段階の踊り場理論』を
掲げているらしいのである。
成長のグラフというのは決して右肩上がりの直線ではなく、階段状の折れ線グラフで
成長させなくてはならないというのだ。
なぜなら何かをやりはじめた時、人間の能力は最初のうちは意欲と緊張感をもって
成功させる確率が高い。永遠に右肩あがりの成績であることにこしたことはないが
常に努力と比例するわけでなく最後まで持続させる者は少ないのだというのである。
それは途上で情勢の変化や自身の変化を察知できずに勢いに任せて
「イケイケどんどん」で先を予測しない結果として伸び悩むというのだ。
情勢の変化を感じた時には、既に「時遅し」命とりになりかねないというのである。
だからこそ折れ線グラフの平坦な部分、即ち階段でいう『踊り場』をあえて作り
伸び悩む前に情勢の変化に対応すべく飛躍のための準備をすることが重要という
理論である。さらに氏によれば、着実にその準備をしていれば次の一歩を踏み出した時に
ブレークスルーする瞬間が訪れるというのである。陸上競技とて同様であろう。
ついでながら『踊り場』とは日本独特の言い回しらしいのだ。
明治時代に西洋の建築方法の伝来により、『踊り場』が初めて設けられた階段が
できたという。
貴婦人たちがドレスを身にまといダンスホールへと階段を降りて来る際
身を反転させた時にドレスの揺れを見た人が踊っている姿に見えたことから
この名がついたのだとか。段差があるだけにダンサーと言うこともあるまいが。(笑)
さらについでながら踊り場は英語で「着陸、到達」を意味するa landingである。
踊り場で余計なお喋りが過ぎたようだ。(笑)
話を元の踊り場にlanding(着陸)させよう。
我チームもまさに今、最初の踊り場に居るのだ。今こそ次なる踊り場に到達するための
準備をして、その一歩を着実に進めブレークスルーさせようではないか。
しかしながら駅伝後のかくいう小生といえば、右肩も左肩もガックリ落とし
その肩で息をしているのだ。
そして「少しブレーク(休憩)する(スルー)」などと考えている自身が
その踊り場に居るのである。
選手ばかりに宿題をやらせるわけにはいくまい。
今から選手が自分宿題を提出するまでの間に次の踊り場への案内板(ガイドライン)の
作成にとりかかるとしよう。選手たちが躓(つまず)かぬために・・・
そして最上階に到達するために。
最後に古くささは否めぬが、水前寺清子(愛称:チーター)の歌を拝借し
年頭の言葉に代えて選手諸君に贈ろう。
♪勝った負けたと騒ぐじゃないぜ
♪あとの態度が大事だよ
♪すべる、転がる、立ち上がる
♪歩く、倒れる、また起きる
♪・・・人生さ
そんな歌詞の如くの波瀾万丈の競技人生だからこそやりがいがあり
価値ある人生なのかもしれない。
何はともあれ、勝負の後の態度として今年も一年、謙虚さと感謝の気持ちを忘れずに
新たなる目標を掲げまたその準備を怠らず選手とともにその階段を着実に上って行く
所存である。今年も相変わらぬご指導、ご鞭撻を賜りたい。
m(__)m
二伸
正月休みにも関わらず早朝より、現地にご足労いただき応援いただいた関係各位
テレビ観戦にてご声援いただいた皆々さまに二伸ながら感謝申し上げたい。m(__)m
よいお年を
2009.12.29今年も去って行く。
この時期になると「あの時、ああしておけば・・・」と悔やむ。
そんな戻らぬ日々を惜しむ思いがいつも胸に湧くのである。
ある本によれば「時間が過ぎ去って行くのではなく私たちが過ぎ去って行く」というのだ。
逆立ちしたとて決して過去には戻れまいと前を向くのだが・・・(笑)
余談ながら砂時計の如く「time」を逆立ちさせれば「emit」になり、紙幣などを「発行する」
という意味の単語になるらしいのだ。

所謂ひとつの「time is money」であろう。
まさしく「時は金なり」である。
さらにその本のページをめくると以下のくだりに出くわす。
『一年の価値』を理解するには入学試験に失敗した学生に聞いてみると
いいでしょう・・・
『一秒の価値』を理解するには、たった今、事故を避けることができた人に
聞いてみるといいでしょう。
人は得てして表裏一体である不運や幸運に遭遇した時にその貴重な時間の価値に
気付かされるのであろうか。(悟)
一年、1ヶ月・・・一秒、いずれの時間の価値もニューイヤー駅伝に向けて練習に
明け暮れる日々を送って来た選手なら理解できるはずである。
時務(じむ)を識(し)るは俊傑(しゅんけつ)に在り・・・・三國志
時務を識るとは、時代の流れをしっかりとらえ、その中で何をなすべきか知っている
ことだという。それができるのが俊傑、すなわち時の流れを読む深い洞察力優れた人物だと
いうのだ。それにまつわる話を紹介しよう。
映画レッドクリフ(赤壁の戦い)でも有名な蜀(しょく)の初代皇帝であった劉備(りゅうび)が
まだ不遇の身であった頃、司馬徽(しばき)という人物を訪ね意見を求めたというのである。
そして、司馬徽は上述の言葉をもちいて二人の人物(怪傑)を紹介したというのだ。
やがて劉備はこの伏竜(ふくりょう)の二人を軍師に迎え入れ、それをきっかけに
大きく飛躍していったのだというのである。
ついでながら、伏竜(ふくりょう)とは水中に深く隠れ昇天の機を伺っている竜のことであり
転じてまだ世に知られていない優れた才能をもつ人物を意味するらしい。
まさに駅伝の選手起用に相通ずるものがあり、極意である。
いよいよあと3日と迫った上州決戦。
さあ、我が伏竜たちよ!昇天の機を伺い、そしてその時をとらえて
上州路で大きく飛躍しようではないか。
しかしながら、かくいう小生といえば戻らぬ日々を数えながら時をとらえきれずにいる
今日このごろなのである。
そんな煩悩ばかりの毎日ではあるが、来年こそ我が凡脳(ぼんのう)に棲みつく108あるという
煩悩(ぼんのう)を振り払い、今年を突破(108)し新年を迎え入れようと思うところである。
m(__)m
来年は 来年こそはと 歳(とし)重ね
【煩悩時の弁(本能寺の変?)】・・・オラ!信だが(織田信長?)何か?(笑い納め)
煩悩だらけであるm(__)m
除夜の鐘を聴いて「我が煩悩を振り払ってもらうしかあるまい」と考えるが
なにせ大晦日は上州で過ごすのは常習であるからして早めの就寝を余儀なくされるのである。
(-.-)Zzz・・・・
残念ながら聴くことはできない。せめて携帯のアラームを除夜の鐘の音に設定して
スッキリと目覚め御来光を拝みたいものだ。(^人^)
そして、丑年生まれの小生は潔く寅年の方々へ襷(たすき)を繋ぐとしよう。
最後にノブログをご覧の皆さまにとって来年も良い年であるよう心からご祈念申し上げたい。
一年間のご愛読に対して感謝申し上げる。それでは良いお年を・・(^-^)v
二伸
今年も多くの方々から応援メッセージをいただいたのでここに紹介する。
二伸ながら感謝申し上げたい。m(__)m


日本ランナーズのみなさんから(代表:金哲彦氏)



立会小学校のみなさんから

JALI客室乗員部のみなさんから
(右端は色紙と一緒に写る平野助監督)
Merry X’mas!
2009.12.24街はX’mas一色。
「何色(なにいろ)?」と問われれば答えに戸惑う今日この頃である。
強いて上げれば「赤」であろうか。
その「赤」が鮮やかなポインセチアが街のとある花屋の店先に並んでいたのだ。

欧州ではX’masにキリストの血の色である赤を飾る習慣からこの花を用いるように
なったという。行き交う人々の華やいだ冬のファッションとその花の赤が相まって
よりいっそうX’masの雰囲気を漂わせるのだ。

数え日のショーウインドに影往来・・・清崎敏郎(きよさきとしお)
この句の如く指折り数え、新年へ向けてのカウントダウンがいよいよ始まったのである。
この時期は敬虔(けいけん)なクリスチャンでなくても、猫もアヒルも杓子(しゃくし)も
「Merry X’mas」なのだ。そして街には至るところにサンタもどきが出没している。
陳腐化(ちんぷか)された駄洒落をあえて言わせていただければ、この時期の小生は
駅伝に向けて「クルシミマス(苦しみます)」なのである。(笑)
故に寒空の下でのX’mas関連業務をされている方に
「アンタ、クロウスルネ(あんた、苦労するね)」などと声をかけたくなるのである。(笑)
【ちんぷんかんぷんな洒落であった。m(__)m】
なにはともあれ、サンタ様におかれては、全世界へ拡張された配送業務は
人手不足な上に多忙を極めていることと存じ上げる。トナカイとて辛かろう。
それ故に我ら親たちがいつしか子供へのX’mas贈呈品配送業務(無報酬、自費精算)を
請け負うに至ったのではないか。(笑)
余談ながらサンタクロースの始まりは四世紀頃の現在のトルコにあったカトリック教会の
セント・ニコラス司教、その人が由来であったというのだ。
ついでながら弊社チームのニコラスはクリスチャンではあるがその子孫ではないことを
言っておかねばなるまい。(笑)
引き続きセント・ニコラスの話を続けさせていただくことにしよう。
司教は貧困に苦しむ家族を救うべく、その家の煙突から金貨を投げ入れたというのだ。
偶然にも暖炉のそばに干してあった靴下にそれが入ったらしいのである。
それから煙突と靴下が必須アイテムになったのは言うまでもあるまい。
しかし、そのシュチエーションを想像するに「暖炉(だんろ)に火の気はなかったのか?」と
疑問が残るのだ。(笑)
疑ったらきりがない。夢もない。m(__)m
とにかく正義の味方であったことは間違いないのだ。
話は戻る。
小生がプレゼントの配送業務を委託された時代を顧みることにしよう。
サンタの代理人よろしく「何をプレゼントしてもらう?」などと愚息たちに問うと
決まって高価な物をお願いするのである。まあ、そんな時は小生の経験からして
「X’masプレゼントについて(調査依頼人:サンタクロース)」と題し、第2希望以降の
アンケートを実施しておくことをお勧めする。(笑)
第1希望にそぐわず、不服申し立てされた場合においては「サンタさんにもお金に限り(予算)
があり、お利口にしていた順番で決まる・・・」などと理解いただく言葉も用意された方が
良いであろう。
「親の収入に応じその内容が変わる」ことなど決して悟られてはならぬこともついでながら
付け加えておこう。自前(じまえ)のサンタ(沙汰?)も金次第ということか。(笑)
サンタの存在を信じて疑わぬ子供たちをお持ちの親御さんたちにおいては、これから
「子供手当て」なるものが委託料として振り込まれることになろう。
景気回復のために大いに消費していただきたいものである。(笑)
嬉しいことか悲しいことか、小学校の高学年くらいにもなれば「サンタさんはいない。
お父さんかお母さんだ。」などと現実派の同級生によって架空会社の委託業務が
自然消滅するに至るのである。(笑)
その現実派の我が愚息はしたたかであった。先日、聞き及ぶところによると
「見ちゃった」というのである。その存在の有無を低学年で既に知っていたのである。
親を気遣って知らんぷりを決め込んでいたのではなく、小生からのプレゼントも併せて
二重にせしめるために騙されたふりをしていたのだ。時、既に遅しである。
今さら咎(とが)めることはできまい。サンタになりすまし騙していたのはこちらとて同じことである。(笑)
しかしながらサンタの代理人(配送係)をお役御免となったX’masの小生の現況といえば
家内より「サンタ」ならぬ「アンタ!」呼ばわりされているのだから
惨憺(サンタン)たるものである。(笑)
愚息たちにおいても親に感謝する気持ちすら持ち合わせていないのだから、この慣わしは
釈然としないのだ。これ以上ぼやくまい。
親は無償の愛を常に子供たちにプレゼントしなくてはならないのだから。
と言っているそばから感謝の言葉を見返りとして欲する小生がそこにいるのである。(笑)
いやはや、親として情けない。m(__)m
賢人曰く
現在に感謝!
「ありがとう」という感謝の言葉は「有り難い」が語源であることは周知の通りである。
「有り難い」こと、すなわち「滅多にない」ことをして頂くからこそ
たった五文字ではあるが「ありがとう」に心を込めなければならないのだ。
我が愚息の如く「蟻(あり)が十匹、ありがとう」などと発してしまっては有り難みが
蟻ほども感じまい。(笑)
人は自身の望みが満たされないときや自身に甲斐性がないにもかかわらず
それをものにできぬときに煩悶(はんもん)が起きるという。
そんなときこそ無い物ねだりをせずに「今もっているものを価値高くして生きていけば
ならない」と賢人は言うのだ。
そうすれば煩(わずら)いは消え何事に対しても「生かされている現在に感謝できる」と
さらに賢人は言うのである。
嗚呼!ありがたや。
ありがたやといえば
去る18日(金)、ニューイヤー駅伝に向けて決意と日頃の感謝を申し上げるべく
選手がお世話になっている職場やJALグループ関係先に選手共々に出向き挨拶回りを
させていただいたのである。走らせていただける現在に感謝!感謝である。



「有難い」は「難儀有り」という意味ももつらしいとい。
依然として、航空業界の取り巻く環境は厳しい状況にある。
難儀が有り多忙にもかかわらず、その関係の皆さまはその手を休め数々の激励を
してくれたのだ。
何よりものX’masプレゼントである。
難儀が有りながらも暖かくご支援いただく方々の言葉が故にその有難みが
心に染み入るのであろう。
再度、走らせていただける現在に感謝申し上げたい。m(__)m
文末ながら皆さまの思いを一本の襷(たすき)に乗せて共に上州路で闘うことを
ここに誓わせていただく。m(__)m
きよしこの夜。今宵はX’masイヴ。
♪We wish you a merry X’mas
♪We wish you a merry X’mas・・・
♪And a happy new year
クリスチャンではないが「クルシミマス(苦しみます)」の時の神頼み、弊社チームはもとより
皆さまにとってもハッピーなニューイヤーになることを祈るばかりだ。m(__)m
まさしく、ポインセチアの花言葉の如く「聖なる願い」である。
Merry X’mas!
冬の雲
2009.12.16山間(やまあい)の急坂を上り暫く行くとホームグラウンドである
佐倉市岩名陸上競技場が見えてくる。

小生がいつも練習場所に向かうためのウォーキングコースである。
その遥か向こうに冬の雲を見たのだ。

まさに『坂の上の雲』である。
高気圧に覆われて澄みきった青空に包まれた雲は一段とその白を引き立たせるのだ。
当然ながら「坂(崖)の上のポニョ」ではない。
小生は臍(へそ)の上のポニョをなんとか凹ませるべく、この急坂をのぼってゆくのである。
へ~そぅ(笑)
先月より司馬遼太郎原作のNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の放映が開始されたのだ。

時は明治時代。近代国家へと突き進む小国日本がロシア帝国の南下による
脅威に晒(さら)され、主人公である秋山好古(よしふる)・真之(さねゆき)兄弟
正岡子規らを中心にさまざまな人々が絡み合い国家存亡をかけた日露戦争に
勝利するまでの物語である。
その原作であるあとがきの中にドラマのオープニングのナレーションでも流れる
こんなくだりがあるのだ。
・・・そのような時代人としての体質で、前をのみみつめながらあるく。
のぼっていく坂の上の青い天にもし一朶(いちだ)の白い雲が輝いているとすれば、
それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。(一朶:ひとかたまりの意)
国民に重税を課してまで欧米列強に遅れをとるまいと、富国強兵こそが近代国家への
近道であると突き進む小国日本。
その時代のうねりに翻弄(ほんろう)されながらもそう信じて疑わず
真っ直ぐに生きた人々の気質がこのくだりから伺えるのだ。
しかし情報過多の現代においては、国民がもつ価値観や世界観が多様化し
国家としての体質は封建時代から目覚めたばかりの往時と比べものにならぬほどの
異なりをみせ、物事すべてが複雑多岐に渡っている。
それ故に坂の上の雲、所謂、一つの共有した目的を見つめてのぼっていくことなど
今の国民に求めたとて不可能に近いであろう。
この不況の世にあっては、一朶(いちだ)の雲から射し込む一縷(いちる)の希望という
陽光を頼りに目の前の苦悶と戦う日夜戦争ということになろうか。
この年末においては特に雲をもつかむような夢を見て宝くじを購入する方も多かろう。
皆々さまにおかれては当たりくじであることを祈るばかりだm(__)m
前出のドラマの原作者である司馬遼太郎は太平洋戦争末期の体験により
近代日本の生い立ちについて感慨をもったことがこの原作(小説)の筆を執るきっかけに
なったという。その太平洋戦争は、去る12月8日に68回目の開戦記念日を迎えた。
日米間に暗雲が立ち込め1941年のこの日に日本軍が真珠湾(パールハーバー)に
奇襲攻撃をしかけたのだ。

大本営に打電された「トラ・トラ・トラ」は
「我、奇襲二成功ス!」
という暗号だったという。しかし「突撃(ト)!雷撃隊(ラ)」を暗号化したものだとか
「虎は千里を往き千里を帰る」という諺(ことわざ)にちなんだとか様々な風説があるようだ。
この日は奇しくも反戦家でもあったジョンレノンが射殺された日でもあるという。
彼は今人として反戦歌「imaging(イマジン)」を世に送り出したのは周知の通りであろう。
その一節のみを紹介する。
♪imaging life in peace…
(和訳:想像してみて、平和な人生を・・)
日露戦争、太平洋戦争に限らず、どのような理由があるにせよ戦争の正当化や美化を
することは決してあってはならない。
しかしそれを風化させることも永久にあってはならないのだ。
戦争なき平和な世界を祈るばかりである。
そして「とっても(ト)良い年に、来年(ラ)はなるように」
「トラ・トラ・トラ」と
併せて祈らずにはいられない。
話は変わる。トラと言えば、現代の虎たちが来年の寅(トラ)年を前に
なにやら世間を賑わしている。
阪神タイガースの赤星選手が不慮の怪我により33歳の若さでの電撃引退宣言をしたことは
記憶に新しく、とても残念でならない。
そうかと思えば米国プロゴルファーT・Wがフーテンの寅(トラ)さんの如く次から次へと
マドンナが出現しゴシップネタをワイドショーに提供しているのである。
寅さんの口上の如くに「けっこうけだらけ虎(猫)灰だらけ・・・見上げたもんだよ・・・」
羨ましいかぎりだ。
もとい、呆れるばかりである。(笑)
どちらの選手もトラウマにならぬことを願いつつ早く平穏な生活に戻って次なるステージで
活躍して欲しいと願うばかりだ。
我が家においてもとら(トラ)えどころのないドラ息子が期末テストを前にして問題集と
虎(トラ)の巻を携えてちゃんとトライしてくれれば良かったのだが・・・。
冷蔵庫の中の餌をあさってはリビングをうろうろしていたのだから良い点数は
取ら(トラ)なかったのは至極当然のことであろう。(笑)
小生自身がそうであったが如く愚息に器(うつわ)以上の期待をすることは酷というものである。
ましてや家内の虎(トラ)の威を借る丑年の小生が「勉強しなさい!」など咎(とが)め立てても
「おやじ!それを言っちゃぁおしまいよ」と返されるのが落ちであるからして
黙殺するしかあるまい。「男はつらいよ!」(笑)
余談が過ぎたm(__)m
虎穴(こけつ)に入らずんば虎子(こじ)を得ず・・・後漢書
良い結果を得るためには、時にはリスクを背負った冒険も必要であるという意味である。
言わずと知れた有名な言葉であるから長々とした説明はいるまい。
しかし、その思いきった決断をする前にはこの言葉の裏に隠された
「熟慮に熟慮を重ね決断しなくてはならない」ということを決して見逃してはならないのだ。
小生も熟慮を重ね細心かつ大胆な作戦を立て虎視眈々(コシタンタン)ニューイヤーを
迎えなければならない。
余計なことながら、かくいう小生は、坂の途上でいつも「腰(コシ)パンパン」に
なるのである。(笑)
今年もわずか二週間余りとなった。
司馬遼太郎ふうに言えば
「まことに小さなチームが、ニューイヤー駅伝を迎えようとしている。
のぼってゆく坂の上の青い天に一朶(いちだ)の雲の如くの遥か上にもし目標があるとすれば
それのみをみつめて翔あがってゆくだろう。」
冬雲は薄くもならず濃くもならず・・・高浜虚子
最後ながら虚子は『坂の上の雲』の主人公のひとりである真之の親友「ノボさん」こと
正岡子規【本名は升(のぼる)】の死の間際まで献身的に看病した門弟でもあることを
つけ加えておこう。
この虚子の句の冬雲の如く「薄くもならず濃くもならず」いつも心穏やかに
平常心でありたいものだ。